虹Veggieのはじまり

料理人だった自分が、土に触れて救われたこと。
80代のおばあちゃんたちの技術に、もう一度灯がともったこと。
ここから、虹Veggieの物語は始まりました。

信州の畑

料理人だった頃に、ずっと感じていたこと

かつて私は、厨房に立ち、経営も担うオーナーシェフでした。日々、お料理と向き合う中で、ずっと胸に引っかかっていた感覚があります。

「もし、こんな野菜があったら、この一皿はもっと良くなるのに」

味、色、香り、食感。ほんの少しの違いが、お料理全体の完成度を左右する。けれど、現場が本当に求める野菜に、なかなか出会えない。それが料理人としての、率直な実感でした。

お店を閉じたあと、心が空っぽになった日

やがて、自分の分身のようだったお店を閉じることになりました。心も体も、糸が切れたように余裕を失いました。お料理から離れ、自分が何者だったのかさえ、分からなくなっていました。

信州の豊かな畑で、土に救われた

土に救われた

廃業後、吸い寄せられるように、かつて野菜を仕入れていた生産者の畑を訪ねました。泥にまみれて手伝いをしたかった。それだけです。

不思議なことに、土に触れている間だけは、頭の中が静かになりました。私は、土に救われました。

80代のおばあちゃんたち

80代のおばあちゃんたち

そこにいたのは、農業歴60年を超える、80代のおばあちゃんたちでした。私にとっては、畑の中で一番信頼できる人たちでした。

「この人たちの技術なら、料理人が切望する野菜を形にできる」そう確信した瞬間、私の心に、もう一度だけ灯がともりました。

「信州ゆめクジラ農園」という8年間

信州ゆめクジラ農園の歩み

私は、生産者団体「信州ゆめクジラ農園」を立ち上げました。目指したのは、プロの料理人に向けて、誇りを持って届ける野菜づくり。

「私の野菜が、レストランのお皿を飾っているんだ」とおばあちゃんたちが胸を張れる場所を作ることでした。

もう一度、名前をつけ直すという選択

虹Veggieとして

その積み重ねの先に、いまの虹Veggieがあります。

家族の食卓にも虹を架けたい。そう思って、名前も方針もあらためて、虹Veggieとして歩き始めました。

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